まんたまシルバー

無駄にヲタクな、しろがねえいじの日記。 濃い話題なども飛び出すので、一見さんは要注意☆

超久しぶりにイベント参加します。 5月12日 コミックシティ大阪94 5号館 ウ-50b 『しるべらげ』

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『項羽と劉邦 ドラえもん論』

現在のじめじめ陽気が
地球規模でどうにかならんかと思ってます。

うむ、なんとも壮大な小市民思考だなぁ(笑)

しろがねえいじです、こんばんは。



だいぶ前から「書くよー」と言ってた事を
休日を利用して消化しまする。

寝不足も10時間近く寝て、スッキリできたし!w

まぁ、だいぶ長いんで、興味のある方だけどうぞー♪



さて。


昔々、中国に“漢”という統一王朝がありました。

成立したのは西暦にしたら、紀元前206年になります。

今から2202年前ですね。

なんかその事実だけでマーベラスですよ。

作った人は劉邦と言われているのですが、
実はこの人、本名が不明とされています。

劉氏の次男坊とかで劉季(季は日本で言えば次郎程度によく使われる字)
とも言うそうです。

劉という姓の邦(くに)を作ったので、そう呼ばれていたらしいのですが、
これがまあ、だいぶダメな人だったらしく、
『ドラえもん』で言えば、
のび太レベルの人だったようでして。

でも、人情に篤く、他人に対して世話焼きだった事が幸いしてか、
「あなたは私が居ないと駄目なのね」と
しずかちゃんのようについてくる人が後を絶ちませんでした。

しかもそういう人が
ことごとくドラえもんレベルのスペックを持った
人材ばかりだった事もあって、劉邦さんは最終的に
戦乱の世を平定して、天下を手中に収めてしまうんですね。

いままで分裂している事があたり前だった中国で
初めて統一国家を築いたのは、
“漢”の前に、始皇帝が作った“秦”という国でした。

でも、法律が厳し過ぎたのと、
始皇帝が無茶をし過ぎた為に、
始皇帝の死後、数年で国は崩壊しちゃいました。

その後、“漢”が統一し直し、
400年近く継続して統治が続いた
(厳密には200年が2回ですが)ので、
現在でも中国の人は、自分の民族を“漢民族”
使用している文字を“漢字”というようになったんですね。

ちなみに“秦”は中国読みでchinなんですが、
この発音が英語文化圏に行ってchinaになったそうです。

そうして英語文化圏から日本に
chinaは輸入されて支那に再度漢字変換されたそうです。

シナ竹(メンマ)の支那ですね。

最近は言葉狩りするのが生きがいのアホが
「戦前の軍事国家が使ってたから、差別用語にゃりん!」
とか言って使えないそうですが。

どの辺りが差別用語なのか、
是非教えていただきたいもんですけども。

この辺りはトリビア的な閑話休題なので、
本筋に戻ります。スイマセン。

劉邦が最終的に統一国家を築いたとはいえ、
そこに至るまでは苦難の連続でした。

対抗勢力に項羽という、武家の出である
実力派の王がいたからですね。

この人は“楚”という国の王でした。

四面楚歌や、覇王別姫の劇で有名な人です。

この人は、ぶっちゃけて言えばジャイアンでした。

「オレが一番強い。だからオレが一番偉い」

「お前の物はオレの物。オレの物もオレの物」

そんな風に我が道を行く人間だったものですから、
最終的に人情派ののび太・劉邦に敗れて、
四面楚歌の状況になってしまい、
ついには滅びるんですね。

では、相談役…つまり軍師はいなかったのか?となりますが、いました。

范増(はんぞう)という名の人で、
だいぶ年をとった軍師でした。

頭の良い人で、「劉邦が項羽にとって危険である」と考えるなど、
読みも確かな人でした。

これも『ドラえもん』でいうなら、出木杉くんですね。

項羽も一目置いて、重用はしてたんですが、
基本的にワンマンであるジャイアンですから、
范増が正しいと思った事でも、
結局は自分の意見を通してしまいます。

劉邦も何度か范増が殺そうとしたんですが、

「のび太程度のヤツを、なんでオレが恐れなきゃならんのだっつーの」

と、逃がしてしまいます。

范増は愛想を尽かして、項羽の陣営から去ってしまい、
故郷に帰る途中で、心労と老齢での長旅が原因で、
死んでしまいました。

そこから“漢”の“楚”に対する反撃が始まるんですが、
もう、この時は劉邦陣営はかなりの人材が充実してました。

項羽を倒す為に何をすれば良いか分からない時は、
張良(ちょうりょう)というドラえもんに頼めば、
いくらでも策を出してくれました。

いざ、戦争となった段階で、兵糧等が無くなれば、
蕭何(しょうか)というドラえもんに頼めば、
いくらでも補給してくれました。

“楚”との戦争で、追い詰められたりすれば、
韓信(かんしん)というドラえもんに頼めば、
背水の陣などの奇略を用いて、いくらでも破ってくれました。

他にも色々なタイプのドラえもん的な人材が
のび太劉邦を慕って、漢軍陣営に活躍した為、
孤立していった項羽は遂に敗れ去りました。

敗れた項羽も結局、なぜ敗れたかの自己分析が
満足にできていなかったようで、

「天がオレを滅ぼすんであって、
 劉邦に負けたんじゃねーっつーの!」

とか言ってました。

まあ、負けても仕方ないんじゃないかとw
 
そんなこんなで天下統一した劉邦は、
後日なぜそれが可能だったかを論じた時、
先に挙げたドラえもん三人を使いこなせたからだと言ったそうです。


また逆に 「項羽は范増(出木杉)一人使いこなせなかったもんね」 とも言ったそうな。


普通でしたらここでめでたしめでたしとなるんですが、
そうならないのが古代中国史の面白い所です。

ただ、まあ、その辺は今回の『項羽と劉邦』ドラえもん論とは
関係ないので、後日にでも。

『項羽と劉邦』そのものに関して興味がある場合は、
小説なら司馬遼太郎『項羽と劉邦』
漫画なら横山光輝『項羽と劉邦』
映像なら『大漢風』
が入り易くて良いんじゃないかと。

長い間お疲れ様でした~

またの機会に語らせてくださいませ♪

で、最後まで書いて今更ながらにアレなんですが、
同じように思考した人はいないのか?とググッてみました

そしたらトップにドラえもん・のび太の楚漢大戦争とゆーのがありました。

ううむ、やはり同じような考えをする人ってやっぱり居るんだなぁ。

劉邦=のび太
項羽=ジャイアン
張良=ドラえもん

この辺りはやはり一緒ですが、その他が全然違いますね。

范増=スネ夫 
韓信=ドラミ
蕭何=パパ   ですし。

これはこれで面白かったです。

出遅れた感がして、ちょっと悔しいのですよ。

では、また~
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  1. 2008/07/19(土) 05:19:44|
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しろがね えいじ

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